最終更新日 2023年6月14日
かみのやま温泉に行った時には是非、「上山城」に訪れていただきたいと思います。
かみのやま温泉の歴史を知るにはとてもよいと思います。
上山城は上山氏が元々持っていたお城でした。
しかし、伊達氏が1508年にここ上山を攻め、その時に上山義房は亡くなってしまいました。
その後、義房の子、武衛義忠が城を奪還し、改めて作られた平山城が現在の上山城なのです。
1580年に最上義光が上山城を攻め落とし里見民部が城主になりました。
江戸時代の初期に、最上氏が改易された後、上山藩が城主となりました。
金森家の時代に本丸には三重の天守や櫓門がある城郭であり、月岡・天神森にそびえ立つその壮麗な姿は「羽州の名城」といわれとても有名でした。
しかし、明治時代になり廃城令の影響により1873年に廃城となりました。
その後城跡は月岡公園、月岡神社となりました。
そして、1982年に二の丸跡に3層の天守が建てられ現在では郷土資料館として利用されています。
この資料館には様々なものが展示されています。
かみのやま温泉の由来とされている「鶴脛の湯」では、湯浴みをする鶴などが展示されていたり、上山か掘り出したものからは、6世紀ごろには巨大な古墳を作り墳丘上に埴輪などが置かれていました。
この古墳は日本海側では最北です。
これはの技術は奈良時代には窯が作られ須恵器や屋根瓦などが作られたという歴史がわかりました。
この他には様々な講座やイベントが開かれています。
講座では「幕末の上山藩はどのように語られてきたか?」や「基礎の基礎から学ぶ古文書講座」などがあります。
その他には夏休みの企画として江戸時代のペーパークラフトがあり組上燈籠を作ったり、「上山城盆踊りとビアパーティーの夕べ」などが行われています。
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